人の死に対する定義について語る! 〜クセを見抜いて卒業させる整体〜
目次
皆さま、こんばんは!
5秒の握手で
身体のクセを見抜く整体師
一整さんと申します。
いつも楽しく、読んでいただき
ありがとうございます。感謝です。
本日も楽しく書いていきます。
今回のテーマは
人の死に対する定義について語る!
です。
皆さんは何を持って死を
定義しているでしょうか?
私なりの意見も交えて
もっとも大切なテーマについて
お話していきます!
では、まずは
こちらをご覧ください!!!
死の正しい定義とは?
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/about_sp/sp-thought1/sp-thought1-2/sp-thought1-2-2.htm
死について肉体と霊界としての
つながりについて
書いてありますが
これをさらに現実的に
落とし込んで、話していきます!
まずは、、、
死に対する一般的な定義とは?
一般的には死の定義としては
瞳孔が開きっぱなし
心臓が動かない
呼吸が止まっている
これら3つのサインが揃ったとき
人は初めて、死んだと
認識されるのです。
これは、肉体的な死を指しており
実は、肉体的な死だけでは
本当の死は定義できないのです。
死には2段階ある?
ということは、肉体としての
死が第一段階としたら
もう一段階の死とは
何かというと
人の記憶から
無くなる、状態です。
肉体的にこの世から消えたとしても
人の記憶の中で
その人の生き様や残したものが
再生される限り
その人は生きているのです。
極論を言うと
アインシュタインは肉体的には
遥か昔に死んでいますが
人の記憶の中では
生き続けているので
彼は、本当の意味では
まだ、死んでいないのです。
死に対して皆、なぜ恐れるのか?
では、そんな死には
2段階ありますが
なぜ人々は死を恐れるかと言うと
自分という我が
この世から無くなることを
非常に恐れるからです。
しかし、そもそも
我というものは
周りからの刺激によって
作られた仮の姿のため
そもそも自分の我というものは
あるようで
実は無いのです。
そのため持っていたものを
手放すのは怖いと感じますが
そもそも実は持っていると
思わされているだけで
実は何も持っていないのです。
そこを捉えておくと
怖さは無くなります。
死というものは
実は恐れるものではなく
ただの節目である、だけなのです。
まとめ
死というものについて
様々な意見がある中
私なりの意見と考えを
述べさせていただきました!
ぜひみなさんも一分一秒を
無駄にしない
人生をお過ごしくださいね!
↓↓↓
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ありがとうございました。
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